毛量の減少

物心ついた時には、親父は毛量を気にしており

しきりに、「お前はふさふさでいいなぁ。くれよ!」

と冗談交じりに話しかけてきたことを偶に思い出す。

 

確かにイメージは、親父は毛量が多い方ではないタイプではあったが

定年時にはかなり紙の量が減っていた。

 

私といえば、もともと、髪質は母親に似たのか、剛毛。

ふさふさの部類であり、若禿になる要素はなく、これまで生きてきた。

 

ただ、周囲を見渡すと髪の量が激減する親友たちを横目に

俺もいつかああなっていくのであろうか

という心配もあった。

 

37歳ぐらいだろうか、日増しに抜け毛が増えてきたと強く感じるようになった。

当時は外国におり、シャワーの際に、排水溝に流れる髪の量がいつもより多いなぁ

と思う程度であったが、それが連日続き、不安を感じ始めたのもそのころ。

 

光の具合では地肌が見えるようになってきたのもそのころ。

髪が長いと、その髪の重さのせいか、地肌が見えやすくなったのもそのころ。

髪の傾き加減で地肌が見えないようにしていたが

そのころにようやく私も気づいた。

 

そのゾーンに入ってしまったのだと

 

かつらを装着するつもりはない、ゆえに

・自分に合ったシャンプーで

・柔らかく大切に髪を扱い

・適度に日光を浴び

・自分の髪質、毛量にあった髪型をする

を基本的な考え方とし

今後もこの残りの髪を死守していきたいと思う。

 

 

人に教えること

中高では、頭がいいわけではなかったが

持ち前の真元気で、勉強を頑張ってきて

それなりにいい成績をとっていた。

 

勉強があまり得意ではない子

答えを聞いても、なぜこういったロジックになるのかがわからない

といった人の気持ちが強く理解でき、それを解決できる、

それが自分の持ち味であると思う。

 

昔、いとこに勉強を教えたことがあり

その後のテストでかなりいい得点を納めた

ということを今でも記憶している。

 

おばあちゃんにも昔、先生になったら?

と言われたこともあるぐらいだ。

 

勉強には考える問題と覚える問題があるが

考える問題といっても、覚える問題の組み合わせみたいなものだ。

 

60歳以降に何をするか?ということ考えると

人に何かを指南するというのが

一番あうのかな、という気にもなる。

 

自分の人生でずっと継続していたものであれば

色々教えることもできるので。

 

 

いずれにせよ、今が人生で一番若い、という

私のNewモットーをかみしめて

何か新しいことにチャレンジしきましょう!

GW前半戦終了

21年のGW半分が終了した。

 

自分で想像した通り、来週月曜に向けての

憂鬱度合いが日増しに高まっている。

 

特に私の憂鬱原因No1は、月報だが、、、

それはまた今度記載することにする。

 

幸い、わが社では県外脱出を規制してなかったため

実家に一時帰国してたわけ。

 

30日夜に出て、5月4日夜に地元を出発するという

なかなかハードスケジュールをこなした。

 

これは日記なので、毎日のスケジュールを記載すると

 

1日:朝ついて、昼に味噌ラーメン、夜はエビシューマイと、海鮮づくし、山菜天ぷら

2日:基本家に滞在。昼に牛タン弁当を食べて、

3日:ユニクロと近隣地場スーパー、あいまにサッカー。夜は、海鮮丼

4日:地元の山に行き(ドライブ)、山菜とり。 夜は、うなぎ

といった感じ。

 

山菜だけではなく、タケノコもたっぷり食べることができ

食に始まり、食に終わるというスタイルで

約1年ぶりの実家を楽しんだ。

 

とはいっても緊急事態宣言下、街中にもいかず

基本的には家にいるというスタイルのため

体重も増えてしまっている。(0.5kg)

これから、瘦せるよう、食べ物の量を気を付けたいと思う。

 

まわりも実家に帰ってきている様子もなく

どこか寂しい感じではあった。

地元の友達も帰ってきてないようだ。

 

今回、嫁と一緒に私の生まれ育った地区を歩き回ったが、

ベビーブームだったのか、新興住宅地で多くの同級生がいたのか

よくよく思い返すと、周りに多くの同級生がいた。

ボールを投げれば、同級生の家にあたるといったレベルで・・・

 

私の息子の置かれている環境と比べると、

ほぼ同世代の子供たちが周りにいないと強く感じる。

 

小学校の友達が近くに住んでいるからといって

彼らと一生ものの付き合いになるわけでもなく

気にするべきものではないが、

 

 

 

GW開始

海外帰国後、2回目のGW。

 

今夜、家族全員で、私の実家に向けて出発する予定だ。

滞在期間は4日間だが、なかなか帰れない環境だし、

今回は意を決して移動をする。

 

子供も、じいちゃん、ばあちゃんに会えるのを楽しみにしている。

もちろん、会うこと自体も楽しみなのだろうが、

私が持っている漫画本に興味を持っており

それを持ち帰ることを期待してる感じもする。

 

小学校6年のときだろうか。

当時、世間の話題に無頓着であった私が漫画本に目覚め、

買いあさりだした時期だ。

 

新書を買うのを是とし、近くの本屋まで自転車でいき、

スラムダンクやらコナンやらを持っていた。

あの時は、それらの本を持っていることを格好いいと思い

なけなしの小遣いから費用を捻出していた。

 

当時、漫画本がずらっと並んだ家を見ると

この人は金持ちなんだろうなぁ

小遣いをいっぱいもらっているのだろうなぁと思っていたが

貧しい子供時代を送っていた立場からすると

買いたいものを買えなかった時代を経験したことはかけがえのないものだと。

 

少ない費用でやりくりする能力、友達よりもお金を使えないという

状況になれることもでき、見栄を張るということも昔からなかった気がする。

 

幸いわが子供は、見栄はりではなく質素倹約な男だ。

(食べ物に関しては、ぜいたくだが)

 

子供の金銭感覚を握るのは親、

特に幼少期が重要と考える為

色々自分で考えさせる癖を身に着けさせたい。

引き続き、この方針で育てていく予定だ。

パノプティコン

人生の主役は他人ではない、

 

ジェレミ・ベンサムの言葉。

 

人の視線が気にしすぎて、気にしすぎて

自分の考えも最終的にその周りの人と同質化になる。

 

よって、絶えず他人の目線で物事を考えるようになり

遠慮して、自分らしいことができず、言いたいことも言えなくなる。

 

こういったロジック。

 

おもい当たる節がある。

 

改めて、言葉にすると怖いが、こういった状況がこの世の中

特に現代社会にはびこっていると思う。

 

勇気をもって行動する必要性を改めて実感する。

 

なお、パノプティコンは、監視員が見えない監獄のことであり

囚人たちは太陽の光で今何をしているかを完全に把握できる構造。

囚人たちは、常に監視員に見られている、という思い込みも含めて

自制して行動するらしい。

 

この仕組みが現代にはびこっているのだろうか。

 

体力測定による気づき

先日実施された体力測定について語ろう。

 

地域で主催される体力測定に行ってきた。

 

種目は様々。

握力、20mシャトル(つかマラソンやん)、立ち幅跳び、上体興し、反復横跳び、

前屈などを通して、実年齢に対し

どれくらい筋肉や体力が若いかを確認するというもの。

 

結論私は判定Dという結果を残し、

実年齢より年をとっているということがわかった。

 

しかも残念ながら、私一人が判定Dであり

他二人はA判定であった。

 

いつも、運動神経がないと馬鹿にしていたが

本当に運動神経が悪いのは私だけであった。

 

こういうところがあるのが

私の悪いところだ・・・

 

私の場合は、DNA的にそこまで健康とは言えない為

子供は是非嫁に似てほしい

 

健康の維持と、健康寿命確保は

私の大事な人生の目標であるため

しばらくはこのブログで動向をチェックしていきたい。

 

ハイウェイオアシス

本日は、ハイウェイオアシスに市営バスで赴いた。

バスに揺られること、35分から40分ぐらいか。

 

自家用車より時間がかかってしまうのは難点だが、

バスの良さは様々な場所を経由するため、

知らない町、面白い発見や新たな土地勘を付けることができること。

 

改めて我が家の利便性の良さを思い知る。

 

もともとはハイウェイオアシスでサッカーの練習をしながら

えびせんを買うことが目的であったが、、、

 

昔、4年半前に購入したチケットはまだ使えることがわかり、

せっかくなのでゴーカートにも乗ってきた。

 

子供が年を取ったせいなのか、私の記憶が過大評価しているのか

昔よりもゴーカートが小さく、少し物足りない感じがした

というのが実感・・・

 

もちろん、ハイウェイオアシス自体の設備やお得感は他施設に比べて

群を抜いているので、また行こうと思うが。。。